「集合!…午前の練習はこれで終了だ。昼食はロッジの中心にある広場で全員で食べるらしい。それまで各自休憩だ」

「「「「はい」」」」

「よし、解散だ」


手塚の言葉を聞くや否や、待っていたようにツカツカと青学コートに入ってくる男が居た。


「やぁ、越前君…久しぶりだね。俺達昼食当番らしいんだよね。君知ってた?俺は橘さんに言われるまで気付かなくてさ…あぁ、面倒臭いなぁ…」


…伊武深司。不動峰二年の実力者であった。

サラサラの黒髪を無造作にかき上げ、お得意の「ぼやき」を炸裂している。

リョーマは懐かしいフレーズの口調を聞きながら、思わず口元に笑みを洩らした。


「…何?」

「べつに。伊武さんらしいなって思って」


今まで日差しを避ける為にかぶっていた帽子を取り、パタパタと仰ぎながらリョーマは呟いた。

喉はとっくに渇ききっていて、いつものクールさは無く、年相応の可愛さが滲み出ていた。


「ふーん…。まぁいいけど。さっさと広場に行こう、他の学校はもうとっくに終わってるみたいだから」


つまりは青学待ちだったらしく、リョーマを呼びに行くのに何故か伊武がパシられたという事だ。

いや、この場合は<パシリ>という表現は間違いだろう。裕太も慈郎も、この役を買ってでていた。

となれば口論になるのは目に見えていて。伊武はソッとその口論から抜け、こうしてリョーマのもとに来たというわけだ。


「うん。他の人達、待たされて怒ってない?」

「…怒ってない。君を怒る人なんて、そうそう居ないと思うけどなぁ…何でそれに気付かないかなぁ…」

「?」


広場までの道を、リョーマはこのぼやきを聞きつつ歩いた。…半分以上、理解はしなかったが。


「あーーーー!!!!いつの間に迎えに行ってたんだよー、君って根性悪いー」

「前(アニプリ/デートだ!)も思ったけど、よくその性格で揉め事起きねぇよな…!」


リョーマの姿を確認するや、明るい口調の毒のある言葉と、以前の口論を再発させる発言がふってきた。

しかし伊武もそんな程度に堪えるはずもなく、チラリと一瞥すると、またボソボソと呟いた。


「…負け犬の遠吠え?嫌だなぁ、さっさと行動しないのが悪いんじゃないか…」

「なにっ…!」

「…ストップ」


裕太が伊武に掴みかかろうとした所で、リョーマがストップをかけた。

リョーマに言われたとあっては止めるしかなく、裕太の腕は空を切った。


「何作るの?俺、料理出来ないけど…」

「俺だって出来ないよ〜。カレー辺りじゃない?…材料もそれっぽいし」


慈郎が手の上でジャガイモを転がした。確かに、人参やら玉葱やら肉やら…

おまけにカレー粉まで見つけてしまっては、カレーを作るしかないだろう。


「カレーぐらいなら、なんとかなるか」

「俺、作った事ない…」


リョーマは不安そうな声で言った。

それもそのはず。家ではそういったものを作る必要がなかったし、学校の調理実習なんかもまだであった。


「だいじょーぶ!俺達に任せてっ」


慈郎はニッ笑うと、リョーマの肩をポンッと叩いた。
















トントントン… 「痛っ…!」


順調に進められていた作業が、その小さな声によって中断した。


「どうした、越前?!」

「あ…ちょっと指を切っただけ」

「…消毒しないと」


焦る裕太とは対照的に、伊武は静かに言った。

そしておもむろにリョーマの腕をとると、血の滲むそれを口に含んだ。


「あーーーー!テメェ、何やってんだよ!!?」

「何って…消毒」


伊武は唇を離すと、「くだらない質問をするな」と言わんばかりの口調で答えた。

リョーマはというと、唖然とした表情で自分の指を見ていた。


「消毒じゃねぇだろ!逆に人間の唾液からバイ菌がはいる事だってあるんだからな!!」

「…何ムキになってるの?羨ましかった?」


伊武がケロリとした表情で言うので、裕太は怒気と恥ずかしさで顔を真っ赤にした。


「おーい、他の奴ら呼んで来たけど…。何やってるの?」


険悪なムードの中に慈郎は戻ってきた。

空気は少し緩和され、伊武はとっととその場を離れ、不動峰のメンバーの方へと行ってしまった。


「リョーマ?顔赤いよ、熱?」

「…違うッス」


結局、慈郎をはじめとした他のメンバーが真相を知る事はなかった。…知らぬが仏。





「美味しいよ、このカレーv やっぱりリョーマ君が作ったものは格別だね♪」


ちゃっかりリョーマの隣を確保した不二が、にこにこと幸せそうな表情で言った。


「そうっすか?でも俺、たいした事してない…」

「リョーマ君が僕のために作ったってだけで、美味しさは変わるんだよ…」


耳元で囁かれ、リョーマは背筋をゾクリとさせた。

前々から思っていたが、不二のスキンシップは激しい。想いの伝え方も。


「…不二、越前はお前のためだけに作ったわけではないと思うが」


瞬時に青学側に吹雪が吹き荒れた。


「手塚…、今のは僕の空耳なのかな?」

「いや、空耳ではないと思うぞ」


開眼し、口元だけで笑みを浮かべる不二と、憮然とした態度で黙々と食事をする手塚。

その間に挟まれた大石は、辛そうな表情で腹を抱えていた。


「まさか手塚。リョーマ君は自分のために作った…とか思ってるの?」

「それはお前だろう」

「ふふ…手塚。午後の自主練は試合しないかい?…勿論、お互い本気で」

「あぁ、いいだろう」


最後の方の会話を聞いて、リョーマはピクリと反応した。


「試合するの…?俺もやりたい!」

「リョーマ君、それはまた別の機会にしよう。僕と手塚は、男と男の勝負をするからね」

「…つまんない」


リョーマが不貞腐れた表情をすると、隣に居た菊丸がギュッと抱きついた。


「おチビ可愛いーvvなら俺と試合しよvv」

「英二先輩と?………やめとく」

「にゃ!?な、なんで?」

「何となく」

「はは、英二先輩振られましたね!」


遠慮無く笑う桃城をギッと睨むと、菊丸はもう一度リョーマに甘えた。


「ねぇ〜おチビ〜、俺と遊ぼうよー」

「…それ、それがやなの」

「え?」

「英二先輩は、俺と本気で試合してくれないでしょ?だからヤだ」


ツーンとした表情を浮かべ、リョーマは皿を片付けるために席を立った。

…が、次の瞬間には持とうとしていた皿が消えていた。


「俺も片付けるから、ついでに持ってって洗っといてやるよ」

「海堂先輩…どうもッス」


リョーマがにこっと笑みを浮かべると、海堂は顔を赤くしてその場を離れた。


「越前、食後の牛乳だ」

「げ…」


急に視界が暗くなったと思ったら、目の前に牛乳があり、リョーマは自然と身を引いた。


「こんな所にまで、牛乳持ってきたんすか…?」

「当たり前だ。こうやって渡さないと、ちゃんと飲まないからな、お前」


乾はノートを片手に、得意気に笑って見せた。それも、リョーマだけに見せる柔らかな笑顔を。


「乾…リョーマ君に色目使わないでくれない?キモいよ」

「失礼な奴だな、不二。俺はただ越前を想って…あれ?」

「何?」

「…越前が居ない」

乾は手に牛乳を持ったまま、「逃げられた」と呟いた。










「………はぁ」


リョーマは木陰になっている木の幹に腰掛けると、息をついた。

喉がカラカラに渇いていて、頭がボーとする。

こんな事なら牛乳でもいいから飲んでおけば良かったかもしれない、そう思った。


「はい、リョーマ君」 「うひゃあっ?!」


急に頬に冷たい物が触れ、リョーマは甲高い叫び声を上げた。

何かと思って自分の頬を見ると、自分の好物であるファンタ−それもグレープ−がくっついていた。

更に視線を上げると、にへっとした表情の千石がリョーマを見つめていた。


「あ、ラッキー…何だっけ?」

「…;犬じゃないんだから;;」


千石は苦笑したが、名前を覚えてないかもしれない事は予想済みだった。

けれどやっぱりショックな事に変わりは無いので、少し落ち込んでしまう。


「冗談ッスよ。千石さんでしょ?Jr.選抜の」

「!そうそう、覚えててくれたんだ?嬉しいなぁ…俺ってラッキー☆」


へへっと笑顔を浮かべる千石に、リョーマは犬を連想した。

それも人懐っこくスキンシップの激しい、大型犬を。


「これ…くれるの?」


頬にあてられたファンタを受け取って、リョーマは小首を傾げて見せた。

千石はそんな可愛い仕草に「うんうん!」と大きく頷いた。


「喉渇いてたでしょ?だから自販機まで走らせて頂きましたv」

「…どうもッス…」


リョーマがバツが悪そうに視線を逸らすと、千石はリョーマの隣に腰掛けた。

貰ったファンタを飲みながら、リョーマはふと会話しなきゃな…と思い、口を開いた。


「…山吹の調子はどう?今回は、亜久津さんも参加してるんでしょ?」

「あぁ、凄いよ。全然体鈍ってないんだから。俺ももっと強くならないと…リョーマ君に認めてもらいたいし」


ニッと笑顔を浮かべ、千石は言った。


「…?何で、俺?」

「だってリョーマ君は、テニス強い奴が好きでしょ?俺、リョーマ君に好かれたいし」

「…別に、強いから好きってわけじゃないッス」


そう言ってみるが、やはり興味を持つのはテニスの強い・上手い人。

言葉に詰まったリョーマに、千石はやっぱり、という表情をした。


「俺、桃城君とか神尾君に負けちゃってさ。ハッキリ言っていいとこなかったでしょ?…だから、自分を変えたくてね」

「格好良いッスね…。俺、そういう志のある人好きだよ」

「え?!」


急に好きと言われ、千石は口をポカンと開けた。


「俺も…越えたい壁があるから」


リョーマの瞳は、明後日の方向を見ていた。自分と手塚の姿を、千石に重ねた所為だろう。


「そっか…、リョーマ君もか」


千石はまだその視線に自分が写ってない事を悟ると、小さく呟いた。

そして立ち上がると、リョーマの頬にチュッとキスをした。


「なな、な、何!?!!?」

「ん…ただ勝利の誓いだよ。俺、絶対強くなるから!!」


真っ赤になったリョーマを後目に、千石はコートの方へと歩き出した。

勝利という二文字を、大好きな人間に送れるようになるために……